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ビジネスロイヤーのひとりごと

愛を知る

若い男の子達がお正月に遊びに来て、話をしていて思ったこと。

女性の表面的な美しさのみにとらわれることも、分かりやすいゲームを楽しむことも、美しい人こそが、運命の人だと思うことも自由だと思う。

しかし、私はこんな生活をしているけれど、魂の伴侶がいることは本当に素晴らしいことです。彼の人に恥じぬようにと思えばこその人生です。

けれども、愛情は相互作用だから、少年漫画のように天から恋人は降ってこない。美術のデッサンや、楽器の演奏のように、意識して愛する力を育まなければ愛することも愛されることもできない。
楽器を演奏する人ならば、他の演者の音と自分の出す音を聴きながら演奏することの難しさが分かると思います。
筋肉と同じように心の感応度の弾性も使わなければ、年齢を問わず衰えてしまうものです。

音楽も文学も人の魂の結露であるからにして、こうしたレッスンには最適なれど、やはり生身の異性には叶いません。

結婚という制度もレッスンに無理矢理にも取り組まされるという点で、大きな成長機会だけれど、レッスンというより本番でもあるので、なかなかに大変です。

異性に人格を認めるという当たり前のことも、実は意識しなければできないことで、女性は男性にとって、男性は女性にとって、当初は客体でしかありません。よくおとぎ話で野獣や老婆の呪いがとけて、美男美女に変わるお話があるけれど、あれは本当は相手に人格を認めたことの分かりやすい比喩なのです。もしかしたら、肉体自体は醜いままかもしれないけれど、人格を認めて世界で一人だけの存在になった人は、世界一の美男美女に匹敵するのです。

とはいえ、そんな風にはなかなか思えないだろうけれど、どうか女性をなんとなくデートに誘う前に、遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」を読むことをおすすめします。