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ビジネスロイヤーのひとりごと

砂の器とショーンK

砂の器天国への階段、恵まれない出自を隠して、才覚で生き抜く物語の主人公は多くの人の共感を得てきた。
浄瑠璃も歌舞伎も、お上の法を犯し、運命に翻弄される人々を描いてきた。

お上の規範と世間の情理は異なり得る。その歪み、その切なさ、その苦しみが物語であり、そこを叡智で解決する大岡越前はヒーローだった。

今はちがう。いや、本質的にはあまり変わっていないかもだけれど、表層的には、規範に合致しない情理を語ることは許されなくなっている。少なくともテキストとして。すべて検索可能なテキストは、検閲と断罪の対象になるから。現代なら、北町奉行所のツイッターは炎上してしまう。

何が正しいかは、完全に別として、顔を変え、過去を棄ててまで戦ってきたその上昇思考を私は単に嘲笑するような気持ちにはなれない。それくらいの気概なしには格差は乗り越えられないのだから。