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ビジネスロイヤーのひとりごと

年代呼称と性意識

最近同世代の男性について非常に羨ましく思うのは、彼らが壮年期の入口にあるということで、社会的な充実に加え、人間的あるいは性的な魅力についてもきっと素敵になっていくのだろうなと、Facebookのタイムラインの写真のちょっとした1枚を眺めることが増えてきた。

厚労省によると31から44が壮年で、その先が中年、前期高齢と続いていくようで、その呼称は性差を問わない。

けれども辞書を離れたとりあえず乱暴な感覚としては40代から50代にかけての男性が壮年で、枯れてくると初老になるという気がしていて、世の中的にも大きな違和感はないのではと思う。特に壮年は壮の字義と、牡と字面が似ているせいか?、女性に使われることは少ない。しかし、何だか魅力的な言葉だ。

対して中年というのは男女両方使われるけれど、ちょっとネガティブに性的魅力の衰退のイメージを含んでいる。おじさん、おばさん然り。

その他、熟年、熟女、妙齢、淑女などの用語をぼんやり探しても、中年期以降の人間的魅力の増大をセクシーに表すような表現は、特に女性について見つけることが難しく感じる。若い女性を記号的に表現する言葉は沢山あるのに。

妙齢はちょっとシニカルというか、本来の意味をちょっと裏返した揶揄的な表現になっているし(美魔女等)、熟女は性産業で消費されすぎてしまったし(年齢ではないけど女社長とか、女医とかも)、とにかく自分がなってみたい理想的な女性像を語ろうとしたときに端的に使える言葉が少ない気がしている。

陳腐な例だけど、フランス語のマダムという言葉に含まれる尊厳は羨ましい。日本語だと母や母性という言葉には、似たような尊厳や人間的魅力の礼讚、あるいは成熟した男性からの思慕の情を感じるけれど、マダムが独身でも一定以上の女性への呼び掛けに使われるのに対して、「母」概念に基づいた女性への尊敬は社会的な場所を持たない(気がする)。働く母親に時折向けられる社会的な冷たさはその表れだと思う。

「女子」の多用や、働いている女性が始終口にする「ロールモデルの不在」には、こんなことも影響しているのではないかなと思っている。勿論、人間的魅力に男女の色分けをする必要はなく、朗らかで聡明で穏やかで力強い志ある人物になろうと思えばよく、女性が男性に憧れたり、逆でも全く構わないけれど、こういう風に年を重ねたいというセルフイメージには、それが異性にとっても魅力的に移るというところがやっぱり欲しいのである。

そもそもの生殖可能期間の違いもあるし、日本の気候風土やら性風俗の流れやらで、社会的なあるべき論が、性文化を変えるに至るのはそこまで簡単な話ではないと思うけど、ここ100年くらいの性風俗に起きている変化(小児性愛への徹底的嫌悪等)や現代人の肉体や見た目の若さ、医療進歩による出産年齢の上昇なども考えると、遠からず、中年期の女性の魅力がより深みをもって語られるようになって欲しいと思う。