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ビジネスロイヤーのひとりごと

酒呑童子と原発


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京都は大江に行ってきた。大江山といえば酒呑童子。お話にはいくつかバージョンがあるようだが、一条天皇の治世、京の町から女たちが消えていくので安倍晴明が見立てたところ、大江山酒呑童子の仕業ということになり、源頼光と四天王という豪華メンバーで討伐にいく。酒呑童子は、酒宴で彼らをもてなすけれど、お土産の毒入り酒を飲んで動けなくなったところを首をはねられる。鬼神に横道なし、とぼやきながら。

小松和彦「異界と日本人」によると、鬼の首を平等院の宝蔵におさめることは、朝廷の権威付けの格好の材料であり、それをサポートする陰陽師の政治的地位が固まることにもなる。酒呑童子は、地方の豪族か、異形の異人か、よくは分からないが、そういった何者かであったのだろう。

大江山と京都は結構遠かった。特急列車で二時間。車で最短ルートを通っても一時間半、間に自転車で越える気には到底ならない峠も二ヶ所ほど。山賊もいるだろうし、さくっと人さらいして、その夜のうちに大酒をあおるという距離ではない。陰陽道で犯人特定というのも無理がある。

お話なので、助けてくださいと泣き崩れる美女たちやら、わしが人さらいだと乙女の生き血をすする鬼が出てくるわけなのだけれど、これは人心を惹き付けるための脚色だろう。けれど、大酒飲み、好色、人肉喰らい、鬼という連想はスムーズで、大江山のピラミッド的なビジュアルや、そこに至る道筋の寂しさなどをあわせて考えても、心にすっと入ってくる。あわせて実在のヒーロー達の活躍が絡むわけで、流行るのもよくわかる。

この話を読んで思い出したのは、原発だ。放射性物質は存在するが、それがどの程度人体に影響を与えるか、実際にどんな濃度でどこに存在しているか、把握できない。しかし、有名人が癌になれば、復興支援のせいではないかと、人々が囁くさまは、悪霊に怯える平安時代そのものだ。

安保もそう。法案採決すると戦争という病が沸いてくるかのような恐怖がある。実際は法案があろうがなかろうが、日々の外交の流れの中で戦争のリスクは絶えず高まったり、低下したり、変化しつづけているのだが、そういう感覚を身に付けている人間は少ない。

問題は、恐怖心というものが、とりわけ思考力を鈍らせるということだ。
絵巻の鬼の姿は、人々の頭から酒呑童子は冤罪なのではないかという疑念を遠ざける。疫病が流行れば自然晴明に頼りたいと考えただろう。

原発反対も安保法案反対も、明瞭な比較検討に裏打ちされた主張より、とにかく悪しきもの、穢らわしきものを封じたいといった風情が強い。太鼓の音頭にあわせて声をあげる様は、奇しくも護摩焚きのようだ。

民衆とは太古からそういったもので、それは良くも悪くもないことかもしれない。心配なのは、性質が悪い現代の陰陽師が登場することだけだ。