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ビジネスロイヤーのひとりごと

ロゴなき世界 & Tokyo

シンプルなロゴ、分かりやすいシンボル、デザインされたフォントに紐づけられた商品イメージたち。

私たちの生活からこれらのシンプルなロゴ達が消えてしまったら、あるいはごてごてとした絵や、味気のないフォントばかりになってしまったら、スーパーマーケットでの買い物がどうなるか、想像してほしい。

アサヒビールのロゴ判決を引用する間でもなく、フォントや簡単な記号についてのデザインは類似しやすい。

音楽もまた然り。人間が共感しやすいコード進行はある程度決まってる。

ある程度似たものがあふれていても、困らない程度であれば世界の彩りのために類似性を許容して何も問題はないはず。

結局著作権侵害の主張は、本当に誰かが具体的な損失を受けている場合にその被害者から行われればよい。

間違って類似商品を買ってしまうような被害があれば商標問題や不正競争防止法の世界で整理していけばよい。

実害ではなく、誰かが安易に(安易そうに)収益を得ることがただ皆憎いだけにみえる。そんな気持ちを代弁するために著作権コンプライアンスだと法律を持ち出すのはやめてほしい。

法は楯であって剣ではない、まして無関係の第三者を中傷する竹のこぎりではないのだから。。

世界が滅ぶとも正義は行わざるべからず、というほどの正義があるかどうかは知らないが、ロゴの類似性は少なくともそれにはあたらないだろう。

正義は世界を豊かにするために基本的に用いられるべきである。ロゴ議論は、明らかに健全な経済活動にとって有害な体をなしている。