searchforperhapsのブログ

ビジネスロイヤーのひとりごと

地方の市場競争

農業近代化で触れなかったもうひとつの論点。

地方における市場競争。
日経ビジネスか、何かの金融雑誌かで、駅前にある売れないまんじゅうやを潰さなければ、地方再生はないという記事があった。地銀の融資方針が結果、地方停滞を助長しているという記事で、私は丁度銀山温泉の藤屋旅館(隅研吾設計)の都会的ないやらしさにうんざりして帰ってきた後で、非常に賛成しかねる気持ちになったのを覚えている。

都会人は田舎には田舎であり続けて欲しく、そこに経済的な価値もあると考えているのだが、田舎に住むものにとってはそうはいかない。単に受け身の観光でしのぐのではなく、地域経済の自立発展あってこそ、住み続けたい町になる、そのためにはまんじゅうやを潰し、町に競争原理を導入すればよい、敗者は勝者に雇用されればよいのだというような趣旨だった。

確かにこの意見は正しいと思う。
さらに、農業改革の路線でいうと、協同組合組織での営農から、競争原理の働く世界へ、脱JAの方向にいく方が、より豊かな農業への進展が進むかもしれない。

他方で、地方の有機的な人間関係、政治的機能、それによる福利厚生システムといったものと、競争が相入れないのも事実。歴史上、長い間互助的な共同体として存続してきた社会の良いところも残す必要があると思う。

共同体の構成員すべてに利益を分配して継続していくことが、協同組合の使命であり、農村の幸福だと語られると、それにも頷きたくなる。

競争の向こうに明日があるのか、コミューン的な方向へのシフトに幸福があるのか、先進国の成長鈍化が臨界点に近づいているなかで、前世紀の議論をもう一度振り返る必要があるのかと思う。

個人的には、これ以上の便利さもこれ以上の豊かさも何も要らない。発展のない社会に永続性はないのがいまの理屈なのかもしれないけれど、発展性の定義を変えて、人々の幸福に経済価値がもう一歩より添えば、幸福に発展できる社会ができるような気がする。

とはいえ、ブータンのあり様もものすごくうまくいっているとはいえないし、ゆっくり考えていきたい。