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ビジネスロイヤーのひとりごと

テロとパンデミック

攻殻機動隊、あるいはいくつかの作品において、思想は人間の脳を浸食するある種のウィルスのように描かれている。
思考が一種のプログラムならば、体制という名の社会システムへの連動の阻害要因となる危険思想は、一種のマルウェアといえるだろう。特に暴力性の発露を伴うものについては。

法治国家において、思想言論集会の自由は必須だけれど、公共の利益に真っ向反対するテロリズムは危険思想として処置対象になる。
それは、あらゆる身体的問題を抱えている人でも社会参加できるが、伝染病ウィルス保有者を隔離するのと同様だ。

特に思想的背景を持つ暴力行為について、国家がとるべき政策も、パンデミックとパラレルなものであってもよいと思う。

感染者の隔離
→テロ関係者の特定、逮捕
潜在的感染者の隔離、検査
→難民等の受け入れ及び管理(野放しにするべきではない)
水際措置
→水際措置
非感染者の防汚
→非暴力主義の浸透貫徹
ワクチン開発
→思想の背景にある根本問題についての解決、教育、生活保証。

誰が一体人口の一部に感染性ウィルスが広まっているという理由で、それが自国に感染するかもしれないというだけで、パンデミック発生国にいきなり空爆をしかけるだろう。空爆では感染者は死亡するがウィルスは死滅しないのだ。

そして留意すべきは暴力ウィルスの感染は双方のイデオロギーを有する者に同時に発生する。最早フランスも悪性ウィルスの感染者になろうとしている。オランドの空爆を支持する人々がこんなにいるなんて。911のときは、米国の行動に世界はもっと慎重な眼差しを向けていたはずだ。

そもそもISは国際法上の国家として認めるべきではなく、米国によるシリア側への空爆国連憲章51条による苦しいあてはめの上にある。フランスの場合は個別自衛権の発動として適法と考えることは可能かもしれないが、いきなりact of warと即座に判断してよいものか。少なくとも慎重に考える姿勢は欲しかった。

民族問題でも、宗教問題でもなく、単なる国際刑事事件として淡泊に対応することもひとつの解決策だと思うのだけれども。。